責任を果たす者 Ⅱテモテ 4:1-7 2020年9月13日
もし、聖徒と言いながら生活は違う者、職務遺棄している者しゃないんでしょうか?
マタイ18章8節 もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまづかせるなら、それを切って捨てなさい。
片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
1.確信を持つ者が主の働きを十分に果たします。
慎(つつし)み、困難(こんなん)に耐え、伝道者として働き
6主はこう言われる。「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ/どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」しかし、彼らは言った。「そこを歩むことをしない」と -新共同訳-
堅固な思いを、あなたは平和に守られる/あなたに信頼するゆえに、平和に。 -新共同訳-
慎(つつし)み:エレミヤ6章14節:彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。
困難に耐え:イザヤ26章3節:志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。
伝道者として働き:ヤコブ1章5-8節:5 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。6 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。7 そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。8 そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。
2.自分の務めを十分に果せ。
福音を宣べ伝え、御言葉を教えて養育、主の日まで忍耐する信仰。
ルカ 12:47 : 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
Ⅰコリント 4:2: 1 こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。2 この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。
結論:聖徒は主から呼ばれた者であり、主の御国の管理者です。
責任を果たすパウルの証。
7-8節: 7私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しましたと証しました。
8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
皆さんは主の前でどうような、信仰の証が出来ると思いますか?