聖なる地に入る者 出エジプト3章1-5 2023.1.22

モーセは神の山ホレブで足のくつを脱げ、エジプトで40年間、荒野で40年間の生活を脱し、柴の中の火の炎の中に立つようになりました。苦しみの中で主は居られるか悩んだことの繰り返しの日々でしたが自分のある全てが抜ける年齢になって主なる神様の前に行く者になって新しい出発が出来たことです。

3章5節、神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」

人生80歳になったのはもう、沈む者の年齢ですが主なる神様の働き者では始まる年齢になったことでしょうかね。あらゆる面で人生の味を何とか分かる者じゃないと主の教えにやっと従順することが出来るからではないでしょうか。

もし、皆さんの考えや願いが主の働きの中で強く反発する何かの原因で悩むならまだ、人生の辛味が足りないから受けようとしないかも知れません。

 

1.召命を受ける為、くつを脱ぎなさい。(2、10節)

3章2節、すると主の使いが彼に、現れた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。

主からの召命は、3章10節、今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」イスラエルの民を救うことでした。

主から受けたことは受けたように伝えないと出来ません。モーセはくつを脱げ、召命に従って40年間、献身しました。そして、主なる神様から認められ褒められる者になったことです。


2.霊が開かれる為、くつを脱ぎなさい。(3-4節)

3章3-4節、 モーセは言った。「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。」主は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ」と仰せられた。彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

目と耳が開かれるとは、霊的な状態になることです。主なる神様の声が聞こえる為には、耳が開かれ、御言葉で目が開かれる必要があります。モーセが40年間で汚れたくつを脱げ、イスラエルの指導者として召命を受けたように我らも自分の汚れたものを探してすてることが必要です。主はそれを要求しています。


3.標的と証拠を願うならくつを脱ぎなさい。(4章1-9)

殺人者モーセはエジプトへ戻って主の教えを伝えてもイスラエルの民たちが信じるか、悩む時、主はモーセに三つの力を注いで下さいました。

杖を蛇に変わる、手はツァラアトに()される、ナイル川の水を土の上で血になるように

3章12節、神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」

主なる神様は主に従う者に様々な賜物を与えて下さるので、従うのに従順するようにしましょう。


4.御言葉を受ける為、くつを脱ぎなさい。(4章10-17)

モーセが自分の口が重く、舌が重いという時、主は『わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。』と言いました。主が共なら、難しいことはないです。

 

結論:くつを脱げ、聖なる地に入る者。

イザヤ11章16節、残される御民の残りの者のためにアッシリヤからの大路が備えられる。イスラエルがエジプトの国から上って来た日に、イスラエルのために備えられたように。

ミカ7章15節、「あなたがエジプトの国から出た日のように、わたしは奇しいわざを彼に見せよう。

ユダ1章5節、あなたがたは、すべてのことをすっかり知っているにしても、私はあなたがたに思い出させたいこおがあるのです。それは主が、民をエジプトの地から救い出し、次に、信じない人々を滅ぼされたということです。

Ⅰコリント10章1-12節、...ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。

立っている⇒ 驕慢な考えを持っている

イスラエル民たちは以前の習慣を捨てなかったことで主の審判を受けました。主の導きで生活しているのにも自分の欲望や満足の為、偶像を作ることをしました。今の皆さんはどうでしょうか? まだ、捨てられなかった偶像が残っていませんか?完全に主に従う者にならないと聖なる地に入ることは出来ません。主なる神様が喜ぶことを表わす聖徒になりましょう。