希望を見つける者 イザヤ43章18-19 2023.1.7
2023年になりました。
皆さんは、いつかの新年になる時、あさひを見たことがありますか?
人々はあさひを見ながらどんな考えをするんでしょうか?
人間に希望がないのなら、その人は人生が死んだ者と同じ人生です。
普通の人々は年を取ると自分の希望を失って自分の子供や孫に希望をかけて生きる者になります。
しかし、霊的な人は肉体的人とは違い、主なる神様の御言葉を読み、聴き、従って、教えられた道を歩んで祝福の新しい人生になって希望がある者になります。
どうやって、こんなことをするのか?
聖書に書かれた預言が成就されることを受け入れ本当の人生、希望がある人生になります。
希望とは、未来が見える時こそ、人々が力を受けることですね。
希望がある未来を見つけた人は力を受ける
1.イエス様の内にある希望を知る者。(イザヤ43章18-19)
我らは神様から前はなかった新しいことを行う時、希望を持ってすぐに力を受けます。
本文のイザヤは預言をして新しいことを行うと言いますがこの新しいことは千年王国を成就させることです。
その為、知らないことが分かるようになり、我らが希望を持つようになることです。
使徒パウルは、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5章17節)
主なる神様が行うことを見つけなければ出来ません。
北イスラエルはアッシリアのサルマン3世によって滅亡しました。
そして、南ユダはバビロン王ネブカデネザルによって滅亡したんですが、ペルシヤ王クロスによって捕虜送還されてイスラエルへ戻るようになったんです。
こんなことが行うようになった理由は、クロス王はイザヤが予言したことを読んで記録されたことを成就する為、捕虜送還と共に主なる神様の宮を建てるのに必要な物も持って帰るように協力したことです。(歴代誌 36章22-23)
ですので、主が新しいことを行うとは、出エジプトの救いで止まらず、バビロンの救いで止まらず、イエスキリストを通して与えられる完全な救いを求めよと言うことです。
荒野の救い⇒ バビロンの救い⇒ イエスの救い
キリスト人の人生は、過ぎた過去で悩む人生じゃありません。
黙示録1章8節、神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
主なる神様は初めてあり、終わりであると教えられています。
だから、キリスト人は主が設定した永遠の目標を目指して進んで行く人生です。
マタイの福音書24章38節、 洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
ルカの福音書17章27節、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。
イエス様がいない人生、肉体的な生活は、繰り返しの連続で堕落と無意味なことです。ですので、キリストの時間概念とは、周期的に繰り返す時間じゃなく一線上の時間を歩むことです。
皆さんは、主なる神様を信じますと言いながらキリストがない生活を繰り替えしていませんか? それとも、救われた後の視点で留まっている状態じゃありませんか?
へブル12章2節、信仰の創始者であり、完成者でイエスから目を離さないでいなさい...。
そうです。まず、キリストと共にしましょう。主の導きに従って救いの道を進んで歩みましょう。
特に、主の審判と主から報いて下さる賞を望みましょう。
へブル11章6節、信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。
Ⅰコリント9章24節、競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。
希望を持って救いの主の御言葉を受け入れる者には、主からの新しいことが始まります。
2.主なる神様の期待に合う人生を歩む者(ロマ1章17節)
① 信仰によって生きる者。
環境に合わせて感覚的に生きるか、主なる神様の御言葉によって信仰を持って生きるか?
ロマ1章17節、なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
エリヤ預言者は、主なる神様を選択することを強く強調しています。
それは、イスラエル民だけの問題じゃありません。皆さんも選択で迷っていませんか?
Ⅰ列王記18章21節、エリヤはみなの前に進み出て言った。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」しかし、民は一言も彼に答えなかった。
皆さんは主の御国を望む者でしょうか?
主の御国を主の為、生きる者にならなければ出来ません。
『信仰がなくては、神に喜ばれることはできません』と教えられたからです。(へブル11章6節)
② 主に従う者は主から冠が授ける者。
ロマ12章11節、勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
Ⅰコリント15章58節、ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことをしっているのですから。
③ 実を結んで主を崇める者。
信仰生活で主を正しく崇める者には良い実を結ぶようになります。
まず、主を賛美することです。
イザヤ43章21節、わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。
へブル11章1-2 信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。
昔の人々はこの信仰によって称賛されました。
明日にどんな良いことがあるとしても、それを信じないといえば、今日の我らの人生にどんな意味もないことです。ただ、希望がある者だけがそれを掴むことが出来ます。
今日、ここに来られた方たちも同じです。
信仰がある者は、自分が願うことを毎日人生の中から、たてるようになります。
だから、信じる者には希望がある未来が用意されています。
苦しみや悩みのことで苦労していますか? 主の御名により、希望を持てる勝利者になりましょう。