主に捧げる感謝 ハバクク3章16-19 2022.11.13
BC.612-598:北イスラエルが滅亡され、612年バベロンの新勢力の国が強くなる時代でイスラエルの王、ヨシヤの子エルヤキムは11年間(Ⅱ列王記23:34-37, 24:8-10)統治したが主を仰ぎ見るのが出来ず悪い王として、記録された。
その時代のハバクク預言者のメッセージは終末時代の我らにも必要な意味ある。
ハバククの名の意味は ⇒ 抱き締める
ハバククの預言:「主なる神様の民たちでも、主なる神様から離れるなら必ず審判を受け入れる」
教会の聖徒と言う者もイエスを救い主として信じない者は必ず審判を受ける。
1.疲れる時、感謝を捧げる。
ハバクク3章16節、私は聞き、私のはらわたはわななき、私のくちびるはその音のために震える。腐れは私の骨のうちに入り、私の足もとはぐらつく。私たちを攻める民に襲いかかる悩みの日を、私は静かに待とう。
はらわたはわななき(内臓は震え)⇒ 中心が揺れ、恐れている
2.何もなく時、感謝を捧げる。
ハバクク3章17節、そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。
いなくなる ⇒ 力がない絶望的状態
六つのことがないといいますがそれは衣食住です。生活で必要なことなのにもなくなっても感謝を表すことはどうような意味があることでしょうか?
3.救われたことに感謝を捧げる。
ハバクク3章18節、しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。
救いの神 ⇒ ペロへ イシイ ⇒ 救いの源泉は主なる神様
結論:感謝は起こったことに対する解析ですが不満と恨みで解析するか、感謝で解析するかは私たちの判断です。
ただ、主なる神様は感謝で主を賛美するハバククを祝福したことです。