主に導かれる教会 出エジプト13章21-22 2023.1.1
主なる神様はイスラエルの民たちがエジプトからカナンへ入る時まで一瞬も離れず導いて下さいました。本文はイスラエル民たちが荒野で進んで行くのに初めから終わりまで主の導きに従わなければ出来ないことを宣言しています。
そうです。荒野で生きるのは主の導きしかないことです。
21節、主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすために、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
導く⇒ ラヌホタム⇒ 一瞬も離れず率いる
主なる神様はいつも、後も横じゃなく前から導いて下さいます。
ですので、教会と聖徒は主なる神様の導きに従えば主の教会と聖徒になることです。
1. 礼拝を従順する者に主が導く。
使徒の働き2章46節、そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
集まり⇒ プロスカルテルンテス⇒ 聖殿でともに祈って賛美することを求め
初代教会では、聖徒たちが主を賛美し、祈ることを重視しました。
礼拝を通して主を知ることや、主の導きを求めるようになったからです。だから、礼拝は霊的生活に入る鍵です。礼拝が足りないと霊的生活も貧困になり、活力も落ちます。現代人の活動はドンドン礼拝から遠くなるようになり、礼拝に集中できなくなります。関心や参加を低くします。
ですから、豊かな主の導きを求めるなら礼拝を最先し、力を入れなければ出来ません。
2. お祈りを求める者は主が導く。
使徒の働き1章14節、この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。
祈りに⇒ プロシュケ⇒ 熱心に祈りを続く
ルカは初代教会の力の源泉は祈りだと言っています。そのぐらい弟子たちは熱心にイエス様の教えを求めて聖霊を受ける祈りを続けていました。
教会の重要な役割はただお祈りする事です。祈らず信仰生活するのは自分勝手な行動になります。
現実に与えた問題や未来に対して悩むことを解決する雄一な方は主にお祈りすることです。
それをどんな環境でも続けることです。
3. 熱心に伝道する者を主は導く。
Ⅱテモテ4章2節、みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
みことばを宣べ伝えなさい⇒ ケリッソン トン ロゴン⇒ どんな環境でもみ言葉を宣べ伝え
み言葉を伝えるのは、福音を広がれる行いです。伝道の機会は誰でも求めれば日常生活から見つけられます。
結論:努力する聖徒は皆、主が導く。
教会の聖徒は主の導きが必要です。今年は礼拝やお祈りと伝道に 努力をかけて主の命令に従順する聖徒になりますように、主の御名で祝福します。