主なる神様を出会う者 創世記28章10-22 2022.11.27

教会の聖徒なら主なる神様を出会うことを望まない者はないでしょう。

主なる神様と体験出来ることを願います。

その理由は力あるキリスト人として、生きる為です。

ところで、主は遠い所で離れてないのです。

我らと近い所で居られます。

ただ、我らの霊的な目が開かれなかったからです。 

心の門が閉まって分からない状態でいるからです。

主なる神様を出会いましょう。主を出会えば祝福を受けった人生に変わります。

今日のヤコブは人間として、強い欲望でお父さんに嘘を言ってエサウの権利を奪い取り、家から離れる悲しい人生になって絶望的時間を送っているところですが主なる神様はそんなヤコブを出会って下さいました。 

なぜなら、主なる神様のことをヤコブは望んでいったからです。

そして、お母さんリベカから大きな協力も受けました。(創27章6-10)

長子の権利を軽く受けたエサウはその権利を売ってしまったことも重要な意味があります。(創25章29-34)

信仰生活を求める我らも同じような場面が多いです。

聖徒としての権利、義務、生活で行うことを守らなければ出来ません。

主なる神様を出会ったヤコブの人生が変わったように、我らの人生が変わる為、どんなことが必要でしょうか。


1.    主なる神様が居られることを体験する。

16節、ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。

ヤコブは野原で寝るしか出来なかったのに、ここに主が共に居られると言うことは革命でき証です。

主を出会う前は、そこはルズですが出会った後はベテル(主の家)になりました。

主を出会わない者は教会たげ、ベテルと思い、仕事場や遊び場では罪を犯しても自由だと判断してしまいますがそれは間違いです。

主を出会った者は全ての場所に主が居られる所になるからです。

ヤコブは17節、彼は恐れて言った。この場所は、なんと恐れ多いところだろう。と告白しています。

ヤコブも主なる神様が居られることを経験したから変わりました。

我らも主なる神様の任在を体験して力ある人生を求めましょう。


2.    主なる神様から約束を受ける。

聖徒は暗い所でも明るくなる必要があります。

肯定的な行動を表わすべきです。主は我らを守って下さいます。

アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神は今も生きて我らを導いて下さいます。

その永遠な約束を信じる希望を持って信仰生活をしましょう。

12節、そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。

その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。

はしごは私と主なる神様との連結ロープです。

それはお祈り、奉仕、伝道、賜物、その連結ロープになるようにしましょう。

15節、見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。

わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。

この約束によってヤコブを大きな信仰を持つようになり、どこへ行ってもこの約束を掴み成し遂げることが出来ます。


3.    主なる神様に向く人生で生きる。

人間は変わりにくい存在です。知識、財力、でも出来ません。ただ、主なる神様が我らを変わらせて下さいます。

どんな弱い者でも主なる神様を出会えば変わります。

18節、翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。

ヤコブの価値観、物質観、全てが変わります。

そして、主を主として正しく拝むことを約束するようになったことです。


結論:主を出会う体験を通して聖徒の人生を送りましょう。

ヤコブがベテルで主なる神様を出会ったように、我らも主の任在を通して主なる神様の約束を受け入れましょう。